飛騨・水無神社(ひだ・みなしじんじゃ)


柘植の木彫りお守り社務所で、干支の馬を買いました。(500円) 6/3/2006
所在地 高山市一之宮町5323番地
駐車場有り(100台)無料
施設本殿、社務所、絵馬殿など
見所 神馬(左甚五郎作)、島崎正樹宮司歌碑、大原郡代寄進石灯篭
水無神社大杉(県指定天然記念物・樹齢800年)、銀杏樹、御旅所など
行事 歳旦祭(1月1日)、節分祭(2月2日〜3日)、飛騨生きびな祭り(4月3日)
例祭(5月1日〜2日)、大祓(6月30日)、奥宮祭(7月下旬)
七五三(11月)、除夜祭(12月31日)
交通案内 JR高山本線、飛騨一ノ宮駅下車、徒歩で5分
お問い合わせ飛騨一宮水無神社 TEL:0577-53-2001


御祭神と御神徳
水無神として、御年神を主神に外十四柱を祀る。
水無神の名はすでに延喜式に記され、清和天皇の貞観9年(867年)従五位上の神位を授けられ
た国幣社で、代々飛騨一宮と称し、飛騨国中の宗祀と仰がれた。
表裏日本を二分する分水嶺に座して、水源と交通の要衝を鎮め『作神様』としても美濃、信濃、越中
など広い地域にわたって農業を奨励し民主の安定を進められた神様で、縁故地に多くの分社を擁する。
従来より御神徳を慕って、開運厄除け、交通安全、商売繁盛、学業成就、安産、初宮詣などさ
まざまな願いを持って参拝する人が多い。
他に飛騨国中の産土神八十八社を鎮祭する摂末社がある。


御由緒
古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代には、神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。
史上にあらわれるのは平安書秋、貞観九年(867年)神位を授けられた記事に始まる。 中世鎌
倉時代には社領は付近十八ケ村に達し、社家十二人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわっ
荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代(天領時代)の尊崇をうけ、また、一般
庶民の厚い信仰にささえられ、明治四年五月14日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、
昭和10年より国費をもって十年の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。
昭和二十一年二月官制廃止後は神社本庁に所属し現在に及ぶ。
社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあ
るが、水主の意味である。社前を流れる宮川の川床があがり、流れは伏流して水無川となり、水
無川、水無瀬河原、鬼川原(覆ケ河原)の地名となrっている。
この宮川のい源流くらい山は日本を表裏一帯に分ける分水嶺になっており水主の神の坐す神体
山として当神社の置く宮称している。
この霊山には一位の原生林があり天然記念物とされ、平治元年(1159年)には、飛州一宮神主
から位山の一位の御笏を献上したことがみえるのをはじめ、一宮神領、位山の一位をもって謹製
した笏を歴代天皇に献上するのが例となって今日に至っている。


熱田神宮の御動座(戦時中の疎開)
大東亜戦争が熾烈になり、戦禍が本土におよぶようになった末期
昭和二十年(1945)七月より敗戦にいたる僅かの期間であったが
戦禍を避け関係者によりひそかに御動座(遷座)になったことは
有史以来のことでもあった。


神馬黒駒・・・作者左甚五郎

島崎正樹宮司歌碑

きのふけふ しぐれの雨と もみぢ葉と あらそひふれる 山もとの里


島崎正樹は、明治の文豪島崎藤村の父である。
明治7年11月13日宮司として赴任。
彼は、藤村の著書「夜明け前」の主人公青山半蔵その人であって
宮村の晩秋を詠める短歌一首が碑となっている。



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